見えないものを見ようとしても、たぶん、一生かけても見ることはできないかもしれない。
でも、見えないとも断言できないと思う。
私が「解離性同一性障害」と診断されるまで、実に4年の月日を要した。
診断名はいろいろと便利だから、「へぇ、そうなんだ」程度に聞いているのだが。
だって、記憶が断片的になったり、突然フリーズしたりする症状さえ緩和してくれれば、診断名なんてなんだっていいのだ。
ただ今までつけられてきた診断名のなかでは、いちばん納得できている。
それは私のなかにある「ヘンテコ」の正体が、掴めそうな気がしたからだ。
目の前の医師の口から、診断名を告げられたとき、「あぁやっぱり」と思ったのを覚えている。自分のなかでつかえていたものが、ストンと落ちていった気がした。
私がはじめてメンタルクリニックの門戸を叩いたのは、子どもが産まれてから。
育児に向いていない才能を持っているとしか思えないくらい、子どもを前に慌てふためいた。
でも、母になるのなんて初めてだし、できなくて当然だと思った。
ザ・ポジティブの仮面をかぶっていた私は、できなくてもまだやれる、次はやれる、そうやって、どんどん自分を追い詰めていたんだと思う。
周りに助けてもらいながら、子どもは順調に育ってくれたが、発語が遅かった。
発達の障害は遺伝するなんて話を聞いたことがあった私は、もしかしたら自分の「ヘンテコ」が、この子に影響しているんじゃないかと思った。
それで検査を受けてみたのだが、原因はわからなかった。
今の診断に辿りつくまでに、4回診断名が変わっている。
不安をつくろうと思えば際限なくつくりだせるように、私の「ヘンテコ」にはいくつもの名前がついていった。
視覚化できない傷へ、いくつかの説明が加えられていくにつれ、私の「ヘンテコ」はますますわけのわからないものになっていった。
どう扱えばいいのか考えあぐねていたとき、真実がまるでこちらに向かって歩いてくるような感覚がした。
あなたの「ヘンテコ」の正体はこれですよ、そう言われた気がした。
でも、なにかを掴みかけたと思った途端に、わからなくなった。
それからというもの、私はわかったようなわからないような、その狭間をずっとたゆたっている。
たぶん、わかったと思った瞬間、真実のようなものはスルスルとこぼれ落ちていくのだ。
もしかしたらそれは、掬うことすらできないのかもしれない。
掬うことすらできないものを、見ようとしているのかもしれない。
だからこそ、気長に付き合うしかないと思っている。
気長に付き合っていけば、相手もねをあげて、「ヘンテコ」の「へ」の字くらいは見せてくれるかもしれないから。