はい、私に自分らしさはございません

 

自分のダメなところを直そうとするから、「私ってダメな奴だなあ」と思って自己否定がはじまっちゃうのかもしれない。

ふとそんなことを思ったのは、マイク・ミルズ監督の映画『サムサッカー』を観たのがきっかけだった。

 

主人公のジャスティンは、17歳になっても指しゃぶりがやめられない。

不安になるとすぐに親指を吸ってしまう。

17歳になっても指しゃぶりだなんて変だし、恥ずかしいと自分でも自覚しているジャスティンは、トイレのなかや自分の部屋でこっそり親指をしゃぶる。

 

運悪く両親に見つかり、指しゃぶりをやめるように言われるたびに、ジャスティンの自尊心は傷ついていく。でも、紆余曲折ありながら、彼は少しずつ成長していくのだ。

 

「人は何か問題があると直そうとして、魔法の解決策を探してジタバタする。だが、自分をまるごと受け入れろ」ジャスティンが通っている歯科医のペリーは語る。

 

 

たしかに、まるごと受け入れられたらどんなにいいか。

現実はなかなかうまくいかないものだ。

なんとか「普通」によせようとしてジタバタ足掻いてしまう。

 

 

 

自分のことでいえば、最近「あなたって自分らしさがないよね」と言われ、自分らしさについてあれやこれや考えて、悶々としていた。

 

私は、好きなことや大事にしたいことがコロコロコロコロ変わる。

一日のうちに何度も変わったりする。

ときどき、自分が何が好きで、何が嫌いなのかもわからなくなる。

それが私の特性からくるものなのかどうかはわからないが、そんなあやふやな自分を私はあまりよく思っていない。

 

自然に触れたりすると、あやふやであることはむしろ普通のことのように思えるけれど、人間世界ではそれが邪魔になったりする。

で、ついついあるかないかもわからない「自分らしさ」のようなものを手に入れたいと思ってしまうのだ。

「一貫した自分でありたい」なんてことを。

 

親指を吸う行為がジャスティンの心の安定につながるなら、それはジャスティンにとっては必要なことなんだと思う。

もし、心を安定させる他の方法が見つかれば、万々歳だけど。

まぁ、他のことに置き換えて考えてみてもそう簡単に見つかるものじゃない気がする。

 

だから、いったん「そんな自分も受け止めろ」というメッセージは、今の私にはガツンと響いてきた。

あやふやだからこそ、見える世界があるかもしれない。

 

一貫性のある、わかりやすい自分じゃなくてもいっか。

そんな風に、どんな自分にも寛容でありたいなと思う。