その優しさに包まれてゆく

 

この頃しみじみ思うことがあって。

「人は人に助けられて生きてる」と、深く深く感じています。

 

そりゃね、常にそんなことを思えるほどできた人間ではないので、ふとしたときに感じていることなんですが。

 

どうやら私の頭のなかには、今これを書いている私以外にも、何人かの自分がいるみたいなんです。

カウンセラーさんの話だと、私は解離という方法を選ばずにはいられない状況にいたから、そんなややこしいことになっているようなのですが。

 

私のなかの人たちは、実にさまざまなことを同時に考えるんです。

 

なにか問題に直面したり、選択しなければならなかったりするとき、誰しもがいくつかの選択肢を頭のなかで考えますよね。

私の場合、いくつかの選択肢のなかから、ひとつに絞ることがなかなか難しい。とはいえ、今までも生きるために絞ってきてはいるんだけど、話し合いをせず強行突破してきた感じなんですよ。

賛成の人と反対の人、どちらでもない人、色んな意見の人がいるにも関わらず、自分以外の意見を無視して突っ走る感じ。

 

みんなのことなのに、相談もなく勝手に決められてしまう。

でも、強行突破していた私も、頭のなかのことは知らなかったわけで(診断されたのは2年前くらい)、そんなつもりじゃなかったんだから仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。

 

 

たとえば、私についた診断ひとつを取っても、受け取り方はバラバラで。

 

解離性同一性障害(以下DID)と診断されたことを、いまだに受け入れていない私。

DIDそのものを否定している私。

DIDであることを隠したいと思っている私。

自分は「普通」ではないと絶望している私。

DIDであることを受け入れて、蔑ろにしてきた自分と向き合っていこうと思っている私。

診断名に捉われずに、今できることを一つずつやっていこうと思っている私。

 

重なる部分もありますが、こんな具合にわかれているんです。

 

これまでは、その場その場で複数の考えを無理やりひとつに絞ってきました(そのとき一番力のある私が)。

「オレはこんなことしたくないんだ!」とか、「いや、ワタシはこれがしたいの!」とか、意見の衝突を回避できない毎日を送っていたんです。それこそ私のなかでも、戦争が勃発していた。

 

でも、意見が衝突しても即ファイティングポーズをとるんじゃなくて、お互い歩みよろうとしてきているのは、「あなたたちは話し合いが必要なんだよ」「誰かを排除する必要はないんだよ」と言ってくれる人たちの存在があったからで。

だから今は休戦することができているのだと思います。

なにより、人の暴力的な部分よりも、人の優しさを信じられるようになってきました。

 

 

家族や友人たちは、私のややこしさも含めて私だと認めてくれているように感じます。

メンヘラ母さんの元で育った子どもは、同じように精神を病むんじゃないかと心配した私に、カウンセラーは言ってくれました。

 

「子どもたちは子どもたちなりの受け取り方をする。あなたの存在は害になるばかりじゃない。現にあなたはお母さんになろうとしてるじゃないか」。

 

友人たちの反応は、もうセンスがよすぎて。

 

「あなたがもし、この先『実は私、宇宙人なの』と言ってきても驚かないよ」

 

えーっと、私、多重人格かもしれないけど、たぶん宇宙人ではなさそう。

たとえ私が宇宙人だったとしても受け入れてくれる、この友人の懐の深さよ。

 

 

「すっごいじゃん!解離できるって、それ、幽☆遊☆白書じゃん」

 

幽☆遊☆白書をご存知でしょうか。90年代の漫画です。幽☆遊☆白書世代なので、笑いすぎて涙が出ました。

違うけど、そう。そんな感じ。私は幽体離脱できるんだって思えば、特殊能力を得た感じがするよ。

 

愛すべき反応、愛すべき言葉たち。

ただ、私が打ち明けたことで、こちらは楽になったかもしれないけれど、友人たちにそれを背負わせてしまったんじゃないかとも思いました。でも、私は自分の荷物を大切な友人たちに背負わせたかったわけじゃない。

私の持っている荷物の中身を知ってほしかっただけ。その荷物がたまに肩にめりこんで歩けなくなるんだってことを、聞いてもらいたかっただけ。

 

それは「代わりに荷物を持って」とお願いすることじゃなくて、歩けるようになるまで「ちょっとだけ待ってほしい」とお願いすることだったんです。どちらもお願いするのは一緒だけど、別の話のような気がします。

 

親しい友人にカミングアウトしたり、こうやって言葉にしたりするのは、もちろん同情されたいからでもなくて。

わかってほしいわけでもなく、知ってほしい。

ただそれだけなんです。

 

幸いなことに私には両手がある。だから自分の手で荷物は持てる。

家族や友人が困っているときには、相手が望めば代わりに荷物だって持つつもりでいるし、「同じペースで歩いていくよ」という心づもりでいます。

 

そう思えるようになったのも、たくさんの「優しさ」のおかげ。

そんな、いくつもの優しさに包まれながら、今日も私は私でいられるのだと思います。