後になって気づく

「なんでそうなった」ということが、たまに起きる気がします。

たいていのことが、何か物事が明るみになって気づくので、気づいたときには拍子抜けしてしまうような感じで。

 

子どもつながりで仲良くなった家族がいたのですが、知らぬまに遠くへ引っ越していたということがありました。

よほど相手を怒らせたのか、嫌な思いをさせなければ黙っていなくなるなんてことはしないと思うのですが、まさに寝耳に水でした。

でも相手にとってみればそこまでの関係だったということかもしれないし、真相はわかりません。付き合いの温度差みたいなものだってあるし。

 

そもそも仲良くなるきっかけが、子どもつながりだったというのも一つの要因かもしれないと思っています。子どもが産まれてからというもの、今まで経験できなかったような交友関係が増えた分、価値観の違いに驚いてしまうこともあって。どちらが正しいとかそういう話をしたいわけでは決してなくて、ただ同じ年の子どもがいるというだけでつながった関係は、とても脆い部分があるように感じています。

 

たとえ知り合うきっかけが子どもを通してだったとしても、いまだに仲良くさせてもらっている友人たちは皆、自分と相手との1対1の関係でも心地良い友人たちなんです。子どもありきではない関係というか。

だから「子どものために」とか「ご近所さんだから」とか条件がついてしまう関係というのは、自然にそういう自分でも言語化していなかった邪心のようなものが相手にも伝わってしまう気がしてならないんです。

 

その家族とは教育理念(英才教育をするかしないかとか。我が家はしていない)が違うというのもあって、私たち夫婦の子どもへの接し方について色々と意見をくれるご夫婦だったというのもあり、半分聞いて半分聞き流していたということもありました(教育方法に正解はないと思うから)。

私としては悪いことはもちろん教えなければいけないけれど、子どもが色々なことを習得できるスピードはそれぞれ違うと思うし、できることも違うと思っていて。

世間一般に言われている「普通」に合わせる必要はないと思うんですよ(この社会では普通である方が生きやすいとは思いますが)。

 

だからそういうことへの違和感を私が感じていたのと同じように、相手もこちらに違和感を抱いていたのだと思います。

生きてきた環境も違うのだからそれは仕方のないことだと思うし、「引っ越す前に、ちょっとぐらい挨拶してくれてもいいんじゃないかな」というのは私の勝手な都合なんですが、虚しさを感じたんですよね。

それは、違和感を抱きながらも私は相手家族に感謝もしていたからで。

子どもたちも楽しそうに遊んでいて、子育てと仕事の両立のことで愚痴を言いあえる関係に、居心地の良さを感じていたのも事実だったんです。でも少なからずどこかで、子どものことを考えて仲良くしておいた方がいいと思っていたのかもしれません。だって、もっと1対1で関わりたいと思っていたら、違和感をそのままにしなかったと思うから。

 

結局私自身考えるのを放棄しておいて、「何も言わずにいなくなるなんてヒドイ」というのは何か違う。「これだけ付き合いがあったのに、何も言わないなんて」と思うのは、私の感覚でしかないからです。それを相手も同じだと思うのは、不遜以外の何者でもない。ただ、自分はこういう思いを相手にさせてしまうのもなんだか嫌だし、たとえ苦手な相手だったとしてもこういう離れ方はしないな、それだけのこと。

自分にとっての普通は、相手にとっての普通ではないから。真実なんてもう、わかりっこないし、自分を必要以上に責めずに今ある関係を大切にしたいと思っています。ただそれだけのこと。