わかるようでわからない

子どもらと動物園に行ってきた。

 

ホッキョクグマが、大きな頭を左右に振りながら格子扉の前までのっしのっし歩いていた。扉まで着くと、今度は後ろ歩きで元いた場所へと戻っていく。

まるで自身を安心させるかのように、その動作を繰り返していた。

同じ動作を繰り返すホッキョクグマを、入れ替わり立ち替わり人間たちが見ている。

歓声があちこちから上がっても、ホッキョクグマは意に介さず同じ動作をひたすら繰り返していた。

一見滑稽に見える行動でも、もしかしたら理由があるのかもしれないと思えば、ホッキョクグマへの印象も変わってくるから不思議だなと思った。

 

我が家の飼い猫もまた、こちらが廊下を歩いているだけで、命の危険を脅かす存在が近づいてくるかのように一目散に逃げていくことがある。

人間にはわからない、何かがあるのかもしれないと思う。

 

なにしろ人間でも人間を理解するのは難儀なのだから。

 

特に子どもたちにはいつも驚かされる(人間の子です)。

近所の公園でのこと。

娘と同じ年くらいの女の子たちが、何やら笑いながらコソコソ言っていた(人が人のことをクスクス笑ってるときって、驚くほどみんな同じ表情をしている気がする)。

 

その視線の先には、娘がいた。

何をそんなにコソコソ笑いの対象にされているのかと、目を凝らして娘を見てみたら、黄色い鼻水を片方だけ垂らしながら颯爽と歩いているのだった。

 

指摘してもまったく動じず、「あぁ」と一言発してまた歩いていってしまった。

私はたまらず追いかけて行き、ティッシュを渡したが、娘は何か言うわけでもなくティッシュを受け取り、真顔で鼻水を拭き取るのだった。

 

かつて私の体の一部だった娘でさえ、まったく自分とは別の生き物のような気がする。胎児ではなくなった今、とうに私の一部ではなくなっているのだが、そういう部分にいつも命の不思議を感じてしまう。

ホッキョクグマも猫も娘も。

わかるようでわからない。

いや、理解したいけれどわからないの方が近いのかも。

 

分からない存在だからこそ、いつまでも面白いのかもしれないと思う。