知ることは、快適への第一歩だった

この映画を観たときは、ホントに驚きました。だって、自分のことが描かれていたから。

 

中村倫也さん主演の映画『水曜日が消えた』。

僕の中には、7人の“僕”がいて。曜日ごとに入れ替わり、他の曜日の“僕”とは直接話すことはできない。だから、日記をとおして僕たちがどんなことをして過ごしたのかを共有している。じゃないと、辻褄が合わなくなってしまうからなんだと思います。

そんな僕の中でも、とびきり地味で真面目な“火曜日”の視点で物語は進んでいきます。

不便だけど、工夫しながら平穏な毎日を暮らしていた僕ら。でもある日、水曜日が消えちゃったというお話です。

 

連続性を持たせるために、私も日記を書いていて。私の場合は、“僕”みたいに曜日が変わるとすべてを忘れてしまうわけではないけれど、たまに空白の時間(どんなことを話したとか、どんなものを買ったとか)が生じてしまうので、とにかくメモするようにしています。

 

“僕たち”は、基本的に自分の曜日で起きたことしか記憶されない。だから月曜日であれば、月曜日の人生を歩んでいて、他の曜日で起きたことは蓄積されていかないのです。

“僕たち”の後ろには、7種類の足跡が別々の方向を向いて残っている感じでしょうか。

 

私も一時期、自分の足跡が残らないことに虚しさを感じて、仕事ばかりしていた時期がありました。私にとって、仕事が生きている実感を得られる方法だったというか。

結局は自分のキャパを考えずに、間違えたやり方でやりすぎてしまったんですけどね。

 

“僕たち”は、面白いくらいに好きなことも得意なことも違うんです。

これも同じ。

たとえば、好きな映画でも見事に違うんですよね。恋愛映画が好きな私もいれば、スプラッター映画が好きな私もいて。

同じように音楽や服などの趣味も違う。

 

頭の中がシェアハウス状態(何人も“私”がいる状態)だと知る以前は、好きでもない物を買ってしまったとき、「私って奴は、飽き性で無駄遣いばかりしてるなぁ」と落ち込むこともあって。ですが、基本的に「ま、しょうがないか」なんて呑気に考えてたんです。知らないってのは、ある意味最強ですね。

 

だから気づくと「なんでこれ買っちゃったんだろう?全然好みじゃないな」みたいなことが多発してたんですが、「買っちゃったものはしょうがないし。気分が変わったんだから今更後悔しても仕方ない」みたいに、見たくないものにはガンガン蓋をしちゃってました。

今考えてみても、どこまでも能天気野郎です。それでも何とかなっていたのは、自分のことだけを考えていればよかったからかもしれません。

 

映画の中の“僕たち”もそうですが、不便でも工夫すればそれなりの生活を送ることはできます。でも、何かのバランスが崩れてしまったとき、今までのようにはいかなくなってしまうこともあって。

 

そんなふうに何か問題が起きると、「“一人”になれたらどんなに楽だろうか」と考えてしまいます。

でも、日曜日から土曜日までを一週間と呼ぶのと同じで、私のシェアハウスの住人たち(頭の中の人格)もそこに住む必要があったから、住んでいると思うのです。住人トラブルが発生したら、それまでのやり方を見直して、場合によっては方法を変えないといけない。

 

ほどよい距離感で、住人たちが快適に過ごせる方法を探っていきたい。そんなことを考えさせられる映画でした。