「やっぱり母親はイカれてる」
映画『ハスラーズ』のラモーナ(ジェニファー・ロペス)のセリフだ。
ホントにそうだよね、と思う。
母親は子どものためだったら、どんなに危険なことでもやりかねない。
子どものためなら、イカれることだってできるのだ。たぶん。
我が子の手術が無事終わった。
無機質な手術室へ、看護師さんに手をひかれ歩いていく娘の後ろ姿を見ていたら、心がいくつあっても足りないと思った(こんな風に考えちゃうから私の頭のなかには、何人も住人がいるのかも)。
あぁ、代わりに手術を受けたい。
自分の体が傷つくよりも、子どもたちの体が傷つくほうが耐えられない、そう思った。
でも、代わることはできないし、ただただ祈るしかなくて。
手術が終わるまでの数時間、私は仕事をして気を紛らわすのに必死だった。
馬鹿みたいに病院でiPadを開いて、馬鹿みたいにいつもと同じことをして、馬鹿みたいにその場に居続けた。
いつもと同じことをするくらいしか、私にはできないから。
祈るように仕事をしたのは、はじめてだったかもしれない。
娘が手術室から出てきた。
意識がまだ朦朧としていた。
手術室に入る前にはしていなかった包帯が腕に巻かれていて、歩いていたはずの娘はベッドに寝かされていた。
声をかけたけれど、まるで夢のなかにいるような虚な表情をしている。
私のなかのどこかが縮こまっていく気がした。
病室に戻ると、娘のリカちゃん人形がサイドテーブルに置かれていた。
なぜだか片足だけパンツが脱がされている。
「ねぇ、リカちゃん、パンツが脱がされてるよ」
そう言ってリカちゃんを見せると、娘はニンマリ笑った。
いや、もしかしたら脱がされているんじゃなくて履かせる途中だったのかもしれない。
昨日か今日、ひとりでリカちゃんと遊んでいた娘を想像したら、また私のどこかが縮こまっていく気がした。
娘の痛みを私が代わりに味わうことはできないけれど、私が代わりに味わってもいいと思える存在であることはたしかだった。
それがたとえどんな痛みでも。
病院の帰り道、雨が降りしきるなか、私はひとりラモーナの言葉を思い出していた。